通訳士・翻訳士と通訳案内士はまったく違います。
TEL2014.02 wrote
 日本には、「通訳」という職業があります。
日本の政治家が外国の政治家と公式に話すとき、彼らの横か、後ろに控えて、なにやらメモ
をとっていたとおもったら、話の合間・合間になにやら話しているあの人たちです。(対人通訳)
ほかに、国際会議などで、参加者は耳になにやをかぶせ、会議室の2階のブースでは、ヘッド
フォンをかけた人が、これもメモをとりながら、話の切れ目ごとにしゃべっている。(逐次通訳)
また、宇宙中継で外国のだれかが当然外国語でしゃべっているのに、同時にテレビのスピーカー
からは、日本語の声がかぶってくる、でもふつうの話し方ではなく、変にもう一度いいかえたり
する部分がある。(同時通訳)あの人たちが「通訳」です。
ものすごく神経を使う仕事で、さらに上の3 種類はいわば別の専門で、別の専門分野にはお互い
ほとんど入り込まない、というより向き不向きにより入り込めないぐらいキビシいのだそうです。

 通訳案内士はというと、おもに観光分野でお客を観光地に引率し案内し て、その間や観光地の
現場で解説をします。事前に渡されたり旅程表をもとに、どこで何をはなすか準備して、シミュ
レーションを準備して、かつ「自分の解釈・表現」で「解説」(説明)をします。時には、自分の
経験や感想をはなしたり、お客の興味に合わせてエピソードをちりばめて盛り上げたりもします。
意味が分かるようにするには、多少正確でない事実や表現をしたり(白い噓)たとえ話をふんだん
に話したりします。そればすべてガイド自身の判断で行うことができます。
ときに、現場で会う日本人(の現場説明者)とお客様との仲立ちとして、多少の違った意味を含む
「通訳的な」こともします。*これが「「通訳」案内士」の名称になった理由。
昔は「ガイド試験を通った」「通訳業」とよばれたこともあり誤解のもととなりました。しかし
別の言い方をすればあくまで、「外国語をつかう観光ガイド」 であり「通訳」とはまったく違う
人たち(我々)です。

では、「通訳」はどうかというと、通訳案内士の行う「通訳的な」ことを含め、まったく、絶対
やってはいけません。自分が通訳する人が母国語で行(言)ったことの意味、意図を含む表現をでき
るだけ100%に近く外国語に表現し、また外国人の行(言)ったことの意味、意図を含む表現をでき
るだけ100%に近く日本語に表現します。*「行(言)った」は「言った」の間違いではありません。
そこに自分の感情や感想を滑り込ませるのは許されません
当然ながら事前に、通訳する人の生い立ちや、維持的な背景をすべて調べ上げ、どういう表現のと
きのその人はこういう気持ちでいるということまで調べて準備しますが、実際になにをどう話すか
は、対象者が実際に口をひらくまでわかりません。まさに臨機応変です。
そして、その仕事は一瞬一瞬で消えてゆき、互いの相手の頭の中の「理解」としてしか残りません。
まず仕事上のこともあり、感情豊かな表現者は不向きだと言われています。いるかいないかわから
ないタイプのひとが向いているらしいです。

もう一つ翻訳業があります。これは文章分野の通訳ですが、どのように表現をすれば意味が正確に
伝わるかはもちろんのこと、あえて別の意味をもつ表現を加えて「特徴ある翻訳」をすることが許
されます。外国の文学作品などの本の表紙に、「○○(名前)訳」とか「翻訳○○(名前)」なとどありま
すがそういうことです。同じ作品でも翻訳者によって「味」がちがいます。そしてそれは、翻訳者
の作品ともなって残ります。
映画の世界の日本語字幕をつくる仕事もこれに近く、こちらは一画面24文字という制限、面白い展
開や日本人の理解しやすい表現にかえてしまうので、ある部分の瞬間は原作で言っていることとま
ったくちがうことを言っている、場合によってはほとんど字幕制作者の独断でストーリーがすすむ
ことがあります。しかしこれはわざとやっていることで、字幕制作者の語学力を疑うのはまったく
ただしくありません。

 実はこれらの「通訳者」と「翻訳者」には、日本の場合公的な資格はまったくありません。
例えばオーストラリアでは、日本語で発行された文書を翻訳し「まさにこの通りのことが書いてある」
と証明する職業があり、これは資格を持った人だけが証明できる。というものです。それ以外の仮に
世界的な日本文学者が翻訳して証明の文書とサインをしても、資格がなければ公的にまったく認めら
れることはなく却下されます。日本語とオーストラリア英語表現に精通していなければなりません。
日本語の一文字あたり2ドルとか、料金が決まっています。各言語ことにこの資格者がいます。
これを、日本語にすれば「翻訳士」ということになります。

しかしながら、日本にはこういう資格はなく、例えば日本の運転免許証の翻訳はJAFが証明しますが、
特に資格を持っている人が証明する訳ではなく、組織が証明します。それを認めるかどうかは相手の
国次第です。外国からは英文の文書で受け入れ、それを関係機関の部署が独自に認定して使われます。
一応、外務省が認めれば良いことになっています。それとて、誰が翻訳したかということは追求され
ません。つまり誰が翻訳したかのかは明かされない。

 日本には翻訳・通訳の資格が存在しないため、そして通訳案内士試験は「通訳」の文字がはいった
唯一の国家試験であるため、通訳案内士は「通訳」だと誤解される原因にもなっており、多くの人は
区別がつきません。    *本人ですら自分を「通訳」だと説明する人もいて、これまた混乱。
通訳案内士はあくまで、「通訳的な」(それも買い物の仲立ちができれば成功というレベルの)業務を
含む「案内士」という位置づけで、上述のように「通訳」とはずいぶんとちがう仕事の範囲を分担し
ています。

街中でも「通訳業・翻訳業」という看板をみかけることがごくたまにありますが、まさに実績と実力
だけを評価基準で仕事をしている方たちだということです。「通訳」を養成する学校もありますが、
おどろいたことに、英検一級だとか、TOEIC 900点だとかのスコアすら持っていない人もいます。
その前にそういうスコアは、まったく彼らの実力を証明するものではないからです。
スコアをもっているからコミュニケーションとしての言語を使える訳ではない。または、会話が得意
(できる)だから通訳案内士の仕事(ガイディング)が勤まるわけではないということと共通しています。

ここでも、多くの人が自分自身を誤解しているケースがずいぶんありますが・・・・・。
日本語の専門家である国語の先生で、観光ガイドのようにペラペラとなにかを説明できている人に
会ったことはありますか?  筆者の場合残念なことに、一人をのぞくほとんど方が「できない」方で
した。どちらかというとガイドトークとしては今度は、すべての先生が「ひどい」方でした。
  *私の先生たちごめんなさい。でも私の評価としての経験的事実なのでお許しください。
すなわち、ガイディングトークのスキルは語学の知識と はあまり関係ない別のトレーニングによる
いうことになります。だからガイディングトークスキルは「価値がある」ともいえます。
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